2008/1/3 14:22
美人コンテストに応募したのは義兄だとか 『トンデモ一行知識の世界』派生トリビア編
『トンデモ一行知識の世界』の P.112 欄外。
http://www.geocities.jp/kazuo714/kapitel1.htm にいろいろ書いてあるが、
これも単なる固有名詞ポンだけで終わらせるには、もったいないネタ。
優勝者は可哀想に学習院を退学処分になってしまって、それを決めたのが
当時の学習院の院長、陸軍大将乃木たちだというのだから。
- 日本初の美人コンテストに優勝したのは、当時学習院女学部三年級に
在学中の末弘ヒロ子、16 歳。父親は小倉市長の名家の子女。
- 美人コンテストの優勝が新聞紙上に発表されると、学習院の学友たちは、
末弘ヒロ子の席に来ては、いやみを言ったりからかったりする始末。
- 当時の学習院の院長は、陸軍大将乃木希典。女学部長の松本源三郎らと
「虚栄心に駆られて、みずからコンテストに応募」したのは問題とか言って、
処罰を論議。「停学か諭旨退学か。そのいずれかの処罰は逃れられない」
- 大阪毎日は学習院に皮肉を言う言う。
「今回のことで問題にせねばならないのは、彼女をねたみあるいはから
かった他生徒の卑劣な心である。それを責めないで、哀れむべき者を
学問(の世界)から追い出そうとするのは、 本末を誤るものである。
厳格をもって鳴る乃木将軍が、卑劣な嫉妬をするような、心の腐った女子
をまず矯正せねばならぬのではないか。 」
- 美人コンクールの主催者の時事新報も言う言う。
「本社の募集に応じて写真を提出した者は、貴校の生徒の中に何人もいる。
そういう生徒はそのままに放置して、一等に当選した末広ヒロ子だけをとが
めるのは何故であるか。」
- さらに時事新報は、ヒロ子が第一次審査で一等に当選した時、第二次審査
の場合にも写真を掲載していたのに、どうしてその時は黙っていたんだ、と。
「全国第一等に当選したからではなく、応募すること自体が学校の主義方針
に違反するというのなら、第一肖像が掲げられた時点で、何故家庭に向かって
注意を与えなかったのか。さらにまた第一次審査の結果一等に当選して、
その写真が再びあらわれた時にもまた反省を促さなかったのか。 」
- 学習院の松本部長は学校側の手落ちを認めたが、結局、学習院女学部は
末広ヒロ子を諭旨退学処分にした。時事新報以外の世間一般にも不評を買う。
- さすがに気が引けたのか、乃木はヒロ子と侯爵家の野津鎮之助との縁談を
まとめることに骨を折る。この野津鎮之助は、乃木の日露戦争の戦友野津道貫
の息子で、ヒロ子とはかなりの年齢差があったのだが。
↑ コメント欄のツッコミをもとに、一番下にある結婚相手を「野津鎮之助」に訂正。
・日本最初の美人コンテストは明治四十一年の全国美人写真コンクール。
優勝者は学習院在学中の末弘ヒロ子。
http://www.geocities.jp/kazuo714/kapitel1.htm にいろいろ書いてあるが、
これも単なる固有名詞ポンだけで終わらせるには、もったいないネタ。
優勝者は可哀想に学習院を退学処分になってしまって、それを決めたのが
当時の学習院の院長、陸軍大将乃木たちだというのだから。
- 日本初の美人コンテストに優勝したのは、当時学習院女学部三年級に
在学中の末弘ヒロ子、16 歳。父親は小倉市長の名家の子女。
- 美人コンテストの優勝が新聞紙上に発表されると、学習院の学友たちは、
末弘ヒロ子の席に来ては、いやみを言ったりからかったりする始末。
- 当時の学習院の院長は、陸軍大将乃木希典。女学部長の松本源三郎らと
「虚栄心に駆られて、みずからコンテストに応募」したのは問題とか言って、
処罰を論議。「停学か諭旨退学か。そのいずれかの処罰は逃れられない」
- 大阪毎日は学習院に皮肉を言う言う。
「今回のことで問題にせねばならないのは、彼女をねたみあるいはから
かった他生徒の卑劣な心である。それを責めないで、哀れむべき者を
学問(の世界)から追い出そうとするのは、 本末を誤るものである。
厳格をもって鳴る乃木将軍が、卑劣な嫉妬をするような、心の腐った女子
をまず矯正せねばならぬのではないか。 」
- 美人コンクールの主催者の時事新報も言う言う。
「本社の募集に応じて写真を提出した者は、貴校の生徒の中に何人もいる。
そういう生徒はそのままに放置して、一等に当選した末広ヒロ子だけをとが
めるのは何故であるか。」
- さらに時事新報は、ヒロ子が第一次審査で一等に当選した時、第二次審査
の場合にも写真を掲載していたのに、どうしてその時は黙っていたんだ、と。
「全国第一等に当選したからではなく、応募すること自体が学校の主義方針
に違反するというのなら、第一肖像が掲げられた時点で、何故家庭に向かって
注意を与えなかったのか。さらにまた第一次審査の結果一等に当選して、
その写真が再びあらわれた時にもまた反省を促さなかったのか。 」
- 学習院の松本部長は学校側の手落ちを認めたが、結局、学習院女学部は
末広ヒロ子を諭旨退学処分にした。時事新報以外の世間一般にも不評を買う。
- さすがに気が引けたのか、乃木はヒロ子と侯爵家の野津鎮之助との縁談を
まとめることに骨を折る。この野津鎮之助は、乃木の日露戦争の戦友野津道貫
の息子で、ヒロ子とはかなりの年齢差があったのだが。
↑ コメント欄のツッコミをもとに、一番下にある結婚相手を「野津鎮之助」に訂正。
2008/1/10 23:32
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
2008/1/10 21:22
投稿者:ニシジマ
はじめまして。
ご紹介のサイトとwikiや他サイトを読むと、乃木希典の関わり方や処分のいきさつがちょっと違うようですね。
第一、結婚したのは野津道貫の息子・野津鎮之助で、野津鎮雄(道貫の兄)はその当時すでに故人です。
そのサイトの記事は多分に創作が入ってる気がします。
参考
・wiki-末広ヒロ子
・「日本一の美女」の数奇な運命 ~末広ヒロ子のシンデレラストーリー
ご紹介のサイトとwikiや他サイトを読むと、乃木希典の関わり方や処分のいきさつがちょっと違うようですね。
第一、結婚したのは野津道貫の息子・野津鎮之助で、野津鎮雄(道貫の兄)はその当時すでに故人です。
そのサイトの記事は多分に創作が入ってる気がします。
参考
・wiki-末広ヒロ子
・「日本一の美女」の数奇な運命 ~末広ヒロ子のシンデレラストーリー
>乃木希典の関わり方や処分のいきさつ
これは http://plaza.rakuten.co.jp/da110011/diary/ (これを
見つけていなかったのは悔いが残る……教えてくださって本当に
ありがとうございます) とも、だいたい一致しているのでは。
新聞社の主張の論旨もそう違いがないようですし (個人的には新聞社
サイドに激しく同意です、ええ)。
部長の松本が強行に主張と言っても、最高責任者は乃木大将だったの
ですから、退学にしたのにはやはり彼と言って差し支えないかと。
ええと、かなり感情的になっているのには、ご容赦を (_ _);
何か、この件についてはどうしても、「学習院、ロクなもんじゃ
ねえ」と超ムカついてしまうんですわ。時空を超えてなお、こんな
奴が出るくらいだから、当時の人たちはもの凄くアツくなって論争
とか繰り広げていたのかも。