2008/1/2 16:46
漫画喫茶やネットカフェの先駆? 『トンデモ一行知識の世界』派生トリビア編
『トンデモ一行知識の世界』 P.108 欄外
「すぐ閉店」とは言っても二年半はもったんだけどなとか、
「人気がなく」と言うと客が入っていなかったという感じに読めてしまうけど
「常連と言っても コーヒーも飲まずに玉突きをして遊んで帰る学生のほうが
多いぐらい」[1] なのが悪かったんじゃないかとか、まああるけど。
時期と地名と店名だけで終わらせるには、もったいないネタだなと思う。
とにかく、オーナーの鄭永慶さん (代々、外交官というか通訳官の家の人) が、
「最後の最後まで学校をやるかコーヒー屋を始めるか迷った」[2] あげく、
鹿鳴館のような「驕れる社交場」はダメ、「大衆庶民や学生の為の社交サロン」
を作ろうと、 「トランプ、クリケット、碁、将棋、その他内外の新聞や書籍を取り揃え、
現在の珈琲店でもこれ程の設備のものはちょっとないだろう」な店を作っちゃった
あたりが面白いと思うんだけどな。
失火でなくしちゃった自分の家の焼け跡に、友人からの借金で西洋館を建てて。
さらに商売に失敗した後は、友人の手助けで海外に夜逃げしてしまったという
波瀾万丈の人生。
[1] http://www.hirocoffee.co.jp/hiro/meistan/column/6/6.html
[2] http://www.y-21gp.com/coffee/STORY/storyAD.htm
・日本最初の喫茶店は、明治二十一年、東京・下谷西黒門町に開店した
「可否茶館」。しかし人気がなく、すぐ閉店した。
「すぐ閉店」とは言っても二年半はもったんだけどなとか、
「人気がなく」と言うと客が入っていなかったという感じに読めてしまうけど
「常連と言っても コーヒーも飲まずに玉突きをして遊んで帰る学生のほうが
多いぐらい」[1] なのが悪かったんじゃないかとか、まああるけど。
時期と地名と店名だけで終わらせるには、もったいないネタだなと思う。
とにかく、オーナーの鄭永慶さん (代々、外交官というか通訳官の家の人) が、
「最後の最後まで学校をやるかコーヒー屋を始めるか迷った」[2] あげく、
鹿鳴館のような「驕れる社交場」はダメ、「大衆庶民や学生の為の社交サロン」
を作ろうと、 「トランプ、クリケット、碁、将棋、その他内外の新聞や書籍を取り揃え、
現在の珈琲店でもこれ程の設備のものはちょっとないだろう」な店を作っちゃった
あたりが面白いと思うんだけどな。
失火でなくしちゃった自分の家の焼け跡に、友人からの借金で西洋館を建てて。
さらに商売に失敗した後は、友人の手助けで海外に夜逃げしてしまったという
波瀾万丈の人生。
[1] http://www.hirocoffee.co.jp/hiro/meistan/column/6/6.html
[2] http://www.y-21gp.com/coffee/STORY/storyAD.htm